【南ア】南アフリカの通貨ランドについて

ランドは1961年に英連邦を離脱して、南アフリカ共和国が成立した時点で生まれた通貨である。南アフリカ・ポンドに代わり発行された。名前の由来はヨハネスブルグも含まれる世界最大の金産地であるウィット・ウォーターズ・ランドに由来している。なお、通貨コードZARは南アフリカのオランダ語での表記(Zuid Afrikaansche Republiek )に由来する。以前のランドは証券投資などに用いられた「金融ランド」とその他の取引に用いられた「商業ランド」からなる二重通貨制であり、商業ランドの為替相場は管理相場制であった。



1985年 アパルトヘイト政策に端を発して、チェース・マンハッタン銀行をはじめとした米銀は南アフリカへの貸出しを停止した。これに対抗し南アフリカ政府により外貨借入返済停止、為替管理の強化が実行された。


この事態により南アフリカは国際金融から孤立し、政府・企業ともに外貨調達に窮することになった。南アフリカ準備銀行はフォワードブックを駆使し、この窮地をしのいだ。

1994年のアパルトヘイト全廃、そして初の黒人政権であるマンデラ政権の成立を受け、1995年に二重通貨制が廃止になり、為替相場も変動相場制に移行した。フォワードブック自体も2004年に閉じられた。南アフリカ・ランドは世界でも奇異な人種差別政策、その終焉、全国民の法の下での平等の確立、黒人政権の成立という歴史と深く関わってきた通貨である。


1998年〜2000年までは世界的な景気減速の中、南アフリカ経済も7%近辺のインフレ率のもと、1%を切る成長率(98/12には最低の0.1%を記録)となり、対円でランドが売られた。

2000年後半には景気減速に歯止めをかけ、下げ止まったかに見えたが、2001年9月のアメリカの同時多発テロによるエマージング市場の混乱、同年末からの隣国 ジンバブエの経済混乱により、再び下げ、2002年1月に最安値の1ランド10.81円を記録した。

2002年は成長率の鈍化と、11%を超えるインフレ率の中、ランドも低迷した。しかし、その後の成長率の回復とインフレの沈静化により持ち直した。

2004年5月には、 2010年のサッカーワールドカップの開催が決定した。 2006年3月には、 2010年以降経済成長6%を達成し、2014年までに失業率を半減させることを目標とする経済成長加速化戦略(ASGISA)及び同戦略達成に不可欠な人材獲得のための、人材資源育成イニシアティブを策定・公表した。

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